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バレンシア(バレンシア語:、カスティーリャ語など:)は、スペイン・バレンシア州バレンシア県のムニシピ(基礎自治体)。バレンシア州の州都であり、バレンシア県の県都である。人口は約80万人でスペイン第3位。の人口は173万人である。 地中海に面し、温暖な地中海性気候で雨量も少ない。観光地としては世界遺産に登録されているラ・ロンハや国立陶器博物館、カテドラルなどがあり、3月に開催される火祭り(ファジェス)で知られている。パエリア発祥の地でもある。 == 歴史 == それまでは「」(Edetania)と呼ばれていた土地を、紀元前137年にローマ人が植民したことによって植民都市が建設され、「」(ウァレンティア Valentia 、強さ・活力の意)と名付けられた。紀元前75年にポンペイウスとセルトリウスの争いによって破壊されたが、再建された。 バレンシアは西ゴート王国、次いでイスラム教徒(ウマイヤ朝、後ウマイヤ朝、バレンシアのタイファ)に支配された。1094年、エル・シッドに征服されたが、彼が死ぬとムラービト朝に奪回された。1238年、アラゴン王ハイメ1世がこの地を征服し、以降はキリスト教国の領土となった。ハイメ1世が建てたバレンシア王国は、アラゴン王国の一部を構成した。 15世紀から16世紀には、バレンシアは地中海でもっとも重要な都市の一つであった。ローマ教皇カリストゥス3世とアレクサンデル6世を輩出したボルジア家はバレンシアの出身である。チェーザレ・ボルジアは17歳でバレンシア大司教に任命されている。 18世紀のスペイン継承戦争では、バレンシアはオーストリアの推すカール大公の側についた。1706年、イギリス軍がバレンシアに入城したが、アルマンサの戦いでフランス・スペイン軍が勝つと、イギリス軍は撤退しバレンシアは自治権を失った。 スペイン内戦では、共和国政府はバレンシアを臨時の首都としたが、フランコ軍により包囲された。フランコ時代にはバレンシア語の会話・教育が禁じられた。スペインの民主化後、1982年に自治州としてのバレンシア州が成立した。現在では、バレンシア語の教育が義務化されている。 1957年、市内を流れるトゥリア川が大洪水を起こした。このため川の流路を市の南側に変える工事が行われ、排水された旧トゥリア川の跡は7kmにわたる公園となった。1996年には旧トゥリア川跡に芸術科学都市が建てられた。 2006年7月、バレンシア地下鉄脱線事故が発生した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バレンシア (スペイン)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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